【ロッテ】藤原恭大、骨折で開幕絶望!中学では1日で野球部クビ?

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千葉ロッテマリーンズの外野手、藤原恭大(ふじわら・きょうた)選手がシーズン開幕前に骨折したと球団から発表がありました。
藤原選手がどこをなぜ骨折したのか?
藤原選手の経歴は?
中学、野球部を1日でクビになったって本当?
など、藤原選手についてまとめてみましたので、よかったら最後までお付き合いください。

藤原恭大、右膝骨折で開幕絶望!

藤原恭大の画像
画像出典:日テレニュース

藤原恭大選手が右膝蓋骨骨折の診断を受けたことを球団から発表がありました。
昨シーズンでは自己最多の103試合に出場した藤原選手。
骨折の原因は、10日に行われたソフトバンクとのオープン戦にスタメン出場した際に打席で自打球を当ててしまったことです。
(自打球とは、自分の打った球を自分の足などに当ててしまうこと)

吉井監督は「骨がひっつくのに1か月半くらいかかると聞いているので。膝なのであまり足は動かせないかな。筋力つけたり、野球の動きをするのに2・5~3か月くらいかかると思っている。骨のひっつき具合で変わると思う」と説明しています。
ロッテの中心選手になりつつあり、今年こそレギュラー定着に向かって活躍が期待されていた矢先の出来事で、本人はもちろん、チームやファンの方々にとっても大打撃であることでしょう。

藤原恭大の経歴

藤原恭大選手とはどんな選手なのか?
これまでの経歴も振り返りながら紹介したいと思います。

【~中学時代】
・豊中市立原田小学校1年生の時に園和北フレンズで野球を始める。
・豊中市立第五中学校時代は枚方ボーイズに所属し、小園海斗選手(現・広島カープ)と共に全国優勝を経験。

【大阪桐蔭時代】
大阪桐蔭高等学校に進学すると、3年時には4番打者として甲子園春夏連覇の原動力となった。
秋の高校日本代表にも2年連続で選出され、主砲として活躍した。
大阪桐蔭時代の同級生に根尾昂選手(中日)柿木蓮選手(日本ハム・育成選手)横川凱選手(巨人)山田健太選手(2023年より日本生命)らがいる。

藤原選手を含め、4人の同級生がプロ野球へ進んだこの世代は大阪桐蔭高校史上最強との呼び声もあるほどで、史上初となる2度目の春夏連覇を達成しています。

2018年10月25日に行われたドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルス阪神タイガース千葉ロッテマリーンズ3球団から1位指名を受け、抽選の結果ロッテが交渉権を獲得。

【プロ入り後】
プロ入り後の1軍での試合出場数は、

1年目 6試合
2年目 26試合
3年目 78試合
4年目 49試合
そして、昨年5年目はプロ入り後初となる100試合を超える103試合に出場しました。
今年もオープン戦に先発出場するなど、昨年よりも活躍を期待されている矢先で骨折が判明してしまいました。

中学時代、野球部1日でクビ!?

藤原選手は中学時代から規格外の選手だったようで、それを裏付けるこんな話がありました。

母校、豊中第五中学校で野球部顧問だった青木裕教諭(社会科)はこう話す。
「彼は外部のチーム(オール枚方ボーイズ)に入っていて、野球部には入っていませんでした。2年生になったある時、彼の友達が『恭大を呼んできていい?』と言って(中学の)野球部に連れてきた。そこで僕と軽~くキャッチボールをしたら、『バチーン!』と、ものすごい衝撃球もめちゃくちゃ速い。そんなボールを放ってきて万が一、生徒が目を離して顔に当たったら大変やと。聞いたらMAX138キロは出ていたらしく、『もう少しで140キロやねん』と言っていました。バッティングも規格外で、うちはグラウンドも広くないし、特にライトが狭いので、場外に本塁打ガンガン飛ばされたら終わりやなと思いました(笑い)。すぐに『悪いこと言わん、そのまま外部のチームでやってくれ』と頼みましたね。彼の中学野球部生活は、その1日で終わりです」
引用:日刊ゲンダイ

中学の野球部顧問の先生がいい意味で入部拒否するほどの実力があった藤原選手。
もともとの身体能力もあったのでしょうが、しっかり努力されてきたのでしょうね。

まとめ

中学時代から規格外の実力で、高校は世代最強の名に恥じないご活躍をされてきた藤原恭大選手。
プロでは思うような結果が出ず、苦しい年を重ねてこられ、「今年こそは!」の気持ちでやってこられたところにケガというアクシデント…
藤原選手自身も大変悔しい思いでしょうから、まずはしっかり治してもらって、その間トレーニングもされると思うので更にレベルアップした状態で1軍の試合に帰ってきてもらいたいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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