ダルビッシュ有、日米通算200勝!若き日の自分を変えた考え方とは?

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メジャーリーグのサンディエゴ・パドレスに所属しているダルビッシュ有選手が日米通算200勝を達成されました!
過去には野茂英雄さんや黒田博樹さんが達成され、ダルビッシュ選手は3人目の達成者となります。
更に先発だけで200勝達成したのはダルビッシュ選手だけだそうです。

実はダルビッシュ選手はプロ野球入団当初は「練習嫌い」で有名だった?
そんなダルビッシュ選手が練習嫌いを克服し、大活躍できるようになった考え方とは?

ダルビッシュ選手の経歴を振り返りながらまとめてみました。
よかったら最後までお付き合いください。

日米通算200勝!

日本球界で93勝、メジャーリーグで106勝をしているダルビッシュ選手は200勝をかけ、強力打線のブレーブス戦に先発登板しました。
前日雨で試合が中止となったためスライド登板となりましたが、そんな影響を微塵も感じさせない投球でした。
ダルビッシュ選手の投球はもちろんですが、仲間の打線が先発全員安打・ホームランなどの援護や守備のスーパープレーもあって終わってみれば7回無失点9奪三振の内容で見事勝利を飾りました。
さらに25イニング無失点中という記録も継続中です!

ダルビッシュ有の経歴

ダルビッシュ有の画像
画像出典:スポニチ

生年月日:1986年8月16日
出身地:大阪府羽曳野市
身長:195.6㎝
体重:99.8㎏

イラン人のお父さんと日本人のお母さんを両親に持つダルビッシュ選手は、3人兄弟の長男として生まれました。
当時6歳だった1993年6月9日に石川県立野球場で行われた巨人対ヤクルト戦が生まれて初めての野球観戦となった。
この試合で篠塚和典が伊藤智仁からサヨナラ本塁打を打ち、選手の喜ぶ場面を見たことが後に野球を始めるきっかけとなったそうです。
小学2年生で野球を始め、当時はアイスホッケーとの二刀流だったそうですが、のちに野球一本に絞ります。

中学でエースとして全国大会ベスト8世界大会3位という成績を収めた。
3年夏時点での球速は144 km/hであったという!

高校進学にあたっては50校を超える高校からスカウトがあった。
高校進学先の条件は「寮生活で親元から離れられること」、「上下関係が比較的緩いこと」
上宮太子高校(大阪府)広陵高校(広島県)東海大学菅生高校(西東京)前橋育英高校(群馬県)及び東北高校の5校に絞った上で監督の若生正廣の人柄、2つ先輩でのちにヤクルトへ入団する高井雄平の存在チームの雰囲気から東北を選んだ、と自身のYouTubeチャンネルで語っています。

東北高校時代、甲子園には2年春夏・3年春夏と出場していて怪我に苦しみながらも2年春には準優勝しました。

3年時の11月のドラフト会議にて日本ハムファイターズから単独1位指名を受け、契約金1億円、年俸1500万円、出来高5000万円という高卒新人として史上3人目の最高条件で仮契約を結びます。

昔は練習嫌いだった?

入団前から話題となっていたダルビッシュ選手でしたが、入団前の仮契約中に未成年でありながら喫煙しながらパチンコ店に入店している姿を週刊誌に取られてしまう事件を起こすなど当時はやんちゃなイメージでした。

そしてダルビッシュ選手本人も語っていましたが、入団当時は「本当に練習したくない人だった」というほど練習嫌いだったそうです!

今の活躍を見る限り、そんなイメージが湧かない方が多いかもしれませんが実際はそうだったようです。

ダルビッシュが考えを変えるきっかけ!

そんな練習嫌いだったダルビッシュ選手の考えを変える転機がおとずれました。

それは2年目のヤクルト戦だったそうです。
その日先発したダルビッシュ選手でしたが、自身の肩の調子も悪くホームランを打たれ降板してしまったそうです。

その頃のダルビッシュ選手は肩の調子が悪いことをいつものように言い訳にしてしまっていたそうです。
この日も言い訳をしながらホテルに戻ったそうですが…
あっこれダメだな
このままじゃ俺ホント一軍半とか二軍の選手になっちゃうと思って何かを変えなきゃいけないな」と思いました。
「この20年一瞬だったからこの先の20年もあっという間じゃん」とも思いました。
その時20歳だったダルビッシュ選手が考えたのは、
今、自分が40歳でクビになって何も仕事がないっていう状態」だという設定を頭の中でしました。
そこに神様が現れて、「一回だけチャンスあげるから20歳の時に戻っていいよ!
と言われて今、このホテルに戻ってきた!
ってことにしようと思ったそうです。
もしこれからもまた何もせずに過ごしちゃうと40歳のときまた無職になるって思いこんでそこから努力を始めたということです!

面白い考え方ですが、同時に発想力もすごいなとも思いました。
人ってどうしても上手くいかないこととかあると言い訳したくなりますよね!?
そこを変えなきゃと思って考え方を変えた先に今の200勝があると思うと更に凄さを感じてしまいます。

そこから始まった栄養学と探求心

そんな思いから始めたのが、まず栄養学。
サプリメントの会社に連絡してホテルまで来てもらって、栄養学について教えてもらったそうです。
他にもトレーニング法だったり、人が投げている変化球にも興味を抱くようになり自分で調べたり、時には直接聞いてみたりしながら自らのものにしていったそうです。

それは日本の時だけでなく、メジャーリーグに行っても変わらずやっているそうです。

今は投げた球の回転数や回転軸を計測できる機械もあり、変化球の練習には欠かせないそうです。
そうやって年を重ねてもまだまだ進化し続けることができているのでしょうね!
その根底にあるのはダルビッシュ選手の探求心と野球を愛する少年のような気持ちでしょうか。

まとめ

今回は日米通算200勝を達成したダルビッシュ有選手についてまとめてみました。

まだまだ進化し続けるダルビッシュ選手なので、250勝目指してこれからも第一線で頑張ってほしいと思います。
そして何より怪我のないように一年無事に過ごしていただきたいですね♪

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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